ゆとりの「頑張りたくない」

推しと酒には酔って然るべし

頑張らない程度に「ヤマシタトモコ/『違国日記』4巻」を読んでみた

 *この記事は2019年5月に書いたものを、少し修正した上で再度アップしたものです*

 

どうも、オリヴィアです。

突然ですが、あなたは物語を必要とする人間ですか?

 

わたしは大学に入ってからサッパリ小説は読まなくなりましたが、マンガはそこそこ読む方です。グルメ漫画やコメディ、ラブストーリーやホラーなどなど…ジャンルは問わないので、一般的にはまあまあ好きな方に入ると思います。

 

漫画も小説も映画も音楽も何でもそうなんですが、そのストーリーに触れたタイミングによって感じるものや見えるものが全く違って見えるじゃないですか。

だから、本当は考察とか感想とか普段はあんまりしたくない方なんです。どうせ次読むときには変わるものだと思っているので。

 

でも、どうせ変わるものなら、今感じたことを残しておくのもいいかなと思って、最近は記事を書いております。

 

今回はオリヴィア・カンが選ぶ2018マンガ大賞 大賞作品(超個人的大賞)『さんかく窓の外側は夜』の作者であるヤマシタトモコ先生の『違国日記』4巻を読んで思ったことをそのまま書き出したいと思います。(大賞作品じゃないんかい)

 

今回はテーマじゃないですが、『さんかく〜』の方も最近新刊が出たのでよければ読んでみてください。めっちゃ面白いです。

 

さんかく窓の外側は夜 7 (クロフネコミックス)

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さんかく窓の外側は夜 1 (クロフネコミックス)

さんかく窓の外側は夜 1 (クロフネコミックス)

 

 iTunesリンク貼ろうとしたのに、さんかくは出てこない〜なんでや〜〜!!

 

 

 

別の人間

 

 

あなたと私は別の人間だから

 

あなたがわたしの息苦しさを理解できないのと同じように

わたしもあなたのさみしさは理解できない

 

ヤマシタトモコ「違国日記」3巻収録 page13(13話)より

 

 

 かつて恋人に言われたことがある。

「私たちは別々の人間で、1人と1人。

だから、いつまで経っても1になることはできない」のだと。

 

当時の18歳の私にとって、その言葉は突き放されたように聞こえて、感情的に寂しさをぶつけて反発した。そんな私に恋人は、「分からないと思うけど、そうなのだ」と繰り返した。

 

今なら何となくわかる気がする。そのときの状況がまさに「1人と1人」であることに。

 

 

違国日記は、人づきあいが苦手な少女小説家・槙生が、折り合いの悪かった姉が事故で急死したことをきっかけに、姉の娘・朝を引き取り一緒に生活していくストーリーである。

 

槙生は、集中すると他のことがすぐ見えなくなって、嘘をついたり場を取り繕うのが苦手。だから、部屋は散らかりっぱなしで、電話でのやりとりは苦手だし、1人の時間がないと生きていけない。

 

対して、朝は、槙生曰く「人から好かれることにてらいがない」人間だ。1人娘として専業主婦のママから愛を受けることが当然だったからか、愛してもらったり構ってもらうことに特別な拘りがない。

だからこそ、突然の事故で両親を失い、無条件の愛が受けられなくなったとき、やり場のない寂しさに襲われてしまう。

 

その寂しさを槙生ぶつけたときに、槙生が朝に言ったのが冒頭の言葉である。

 

彼女はわたしのさみしさを受け入れてくれたが、理解はしなかった

 同上

 

 

人が別の人間を「受け入れること」と「理解すること」の何が違うのか。

これを明確に説明するのは難しいことのように思える。

 

考えが全く同じ人間しか「受け入れる」ことが出来ない人間であれば、「受け入れる」と「理解する」は、ほぼイコールだろう。この場合、一般的には「受け入れた」「理解した」とは評価されないが。

 

また、どんなに意見に対しても『君が言っていることはわかるよ』と言える人にとっても、「受け入れる」と「理解する」ほぼイコールである。しかし、それは否定しないだけで「受け入れる」「理解する」とはまた違った行為ではないのか。

 

私たちは別の人間を「受け入れる」ことも「理解する」ことも難しい。

でも、他人のストーリーに共感したり、寄り添いたくなってしまう。

 

分かりたいけど分からない、分からないけど分かりたい。

 

槙生が言うように、そういう気持ちが特別だと思っていた時期は誰にでもあるはずだ。

でも、「あなたには分からない」なんて言葉、誰でも口から放ったことも1度はあるはずである。

 

孤独は、形は違えど誰のなかにもあるから。

私たちは別々の人間で、合わせて1になることはないのだから。

 

 

 

実里

 

槙生は、実姉であり朝の母親でもある実里を憎んでいる。

実里が、「ふつうに」が苦手な槙生に対して、「キモい」「あんたみたいな人間は誰からも好かれない」という呪いをかけた人間だからだ。

 

朝は、ママ(実里)に対して特別な感情を抱いていたわけではない。

愛されるのが当たり前で、ママは無条件の愛を注いでくれる人だったから。

生まれてこの方毎日そばにいる母親に対して、この人は「特別な人」だと意識する10代はいるんだろうか。少なくとも私はそうではなかった。だから、朝もそのような気がする。多分。

 

実里がどのような人間なのか、物語中ではまだ十分に描かれていないが、おそらく実里は「正解」を持った人間なのだと思う。

母子家庭の長女というプレッシャーがそうさせたのか、そのあたりのストーリーは分からない。

ただ、槙生に対して「私以外誰も言ってやれないだから」と言ったり、朝に対して「お母さんのいう通りにしたら間違いないんだから」と言っているところをみると、自分の中に「正解」が合って、それ以外の「正解」を受け入れられない人なのだろう。

 

だから、槙生を「特別」に感じて羨ましく思う。

だから、朝を自分と同じ「正解」を持った人間として扱ってしまう。

 

こういう風に書くと、何だか実里が可哀想な人間みたいに読めるが、私は槙生と実里がそんなに違うとは思わない。

 

実里は自分を普通と感じて、槙生は自分を特別と感じて、それぞれ孤独を感じている。

どちらも本質はそんなに変わらない、孤独の形が違うだけである。

 

 

砂漠

 

朝が片づけられない槙生に対して「なんで普通のことができないの?」と尋ねたとき

槙生は

そういうふうになぜか生まれた

あなたがさみしがりやに生まれたように

それは選ぶことも咎めることもできない

違国日記4巻収録 page19(19話)より

と答えた。

 

朝にとって槙生はやはり「特別」に感じていたと思う。

もしかすると、実里がそう話していたのかもしれない。

 

そのくらい、朝には槙生が孤独で理解できない人間に思えていたのだろう。

 

でも、槙生の言葉を聞いて朝は思ったはずだ。

槙生と自分は別の人間で全然理解はできないけれど、

槙生は「特別」孤独なわけではない。

 

わたしにさみしく見えた彼女の砂漠は

わたしには蜃気楼のように

まぼろしめいて遠かったが

 

本当は豊かで 潤い

そしてほんのときどきだけ

さみしいのかもしれなかった

同上

 

みんな平等に孤独で、みんなさみしい。

 

 

まとめ(ない)

 

以上、違国日記4巻を読んで感じたことをバババババーーっと書き連ねてみました。

書評でも感想でもなく『読んでみた→書く』という不親切設計なので、いつものごとく下書きどころか推敲もほとんどしてないです。

 

本当に心からそのまま書いてます(ドヤ)

 

だから、これ読んだ人は「なんじゃこれ???」となるんじゃないかな。

ネタバレとかも一切ないから、本当に???ですよね。

それでも誰かの心の琴線に触れて、この作品読んでみよかなーと思ってもらえたら、この記事の客観的価値が1UPするかもしれません。

 

この記事書きながら思い出したのは、私…読書感想文とかめっちゃ嫌いなタイプだったわ…ってこと。

感想を言葉にすること、それを評価されることの2段階で嫌いだったんですよね。

そもそも感想ってなんだよ???みたいな気持ちでした。

そんなわたしの読書感想文が代表に選ばれたことが1度だけあって、それは本当に感情の赴くままにバババーっと書き上げたものだったので選ばれたときはちょっと嬉しかったです。まぁ特に賞とかは取らなかったので、いま思い出すまで完全に記憶から消し去られていたんですけど。なんか今回思い出しました(笑)

 

なので、違国日記とそのとき代表に選ばれた読書感想文を書いた本のリンクを貼っておきます(はてなのリンクが調子悪いのでバッジで)

 

違国日記1巻

 

 

違国日記2巻

 

 

違国日記3巻

 

 

違国日記4巻

 

 

こんな表紙じゃなかった気がするけど、たぶんこの本です。

僕が僕であること/山中恒

  

なんか中学生の読書感想文の本としては若干対象年齢が低めのような…?

ちょっと内容あんまり思い出せないのでまた読み返してみます(笑)

 

 

ではでは、今日はこの辺で

あんにょん!!